許しを乞う事すら許されなかった。

 

 おれが殺したはずの夏野の姿を認めた時、まず驚愕し次におれの心は歓喜しまた落胆し悲嘆した。ああ、これで夏野は生き返った。屍鬼として、おれたちの同族として蘇ったのだと安堵した次の瞬間、凄まじい程の罪悪感が首を擡げた。───おれは、人を殺める罪の上に、更に親友をこんな汚らわしい生き物に塗り替えてしまうという大罪を犯した。ああ、恐ろしい化け物のこの身体!!そして更に恐ろしいのはおれの意識だ。夏野が起き上がったならば、おれは殺人を犯したことにはならない。唯一無二の親友を殺したことにはならない、ああよかったよかった……自分が憎い。憎くて憎くて堪らない。その癖おれは自分の身が可愛いのだ。夏野が起き上がった事で、おれの罪が軽くなったと少しでも感じたいのだ。こんな呪われた体になってなお生にしがみつくしかないのだ。おれは日毎に昔の夢を見る。もう眠りたい。昔に還りたい。このまま眼が覚めなければいいのに。なあ夏野。

 

 

 なあ、おまえさ、何でおれなんかに構うワケ。
 この村に来たばかりのかつての彼はそう聞き、おれを大いに困らせた。

 

 あの日は夏の記憶の中にある。暑い暑い、夏の日だ。ゆっくり歩いていても汗がつうと伝っていく。
 周囲は一面の田園風景、向日葵が揺れていた。空は真っ青で、雲ひとつ無い。酷く冴えているその青の下、おれは夏野の横を歩いている。夏野はおれの顔も見ず、真っ直ぐ前を見据え、自転車を押しながらしっかりとした足取りで歩いた。
 しかし、彼はおれを追い越す事はしなかった。おれの歩調に合わせてくれているのだ。優しい奴だ。おれは少し笑って、

 逆に、何だかんだとおれを嫌がらなくなったのはどうしてだ、と聞き返した。

 彼は一瞬困ったような、迷子になった子供のような顔をして、次にムッツリと脹れた。シャツが風に揺れている。眼に痛い白。
 ───おれが眼を見張ったのはその一瞬の表情だった。
 まるで泣きそうなように見えたのだ。何か取り返しのつかない事に気づいたような、そんな表情だった。面白い奴だとは思っていたが、時たまに見え隠れする危うげなそのバランスが一層心を惹いた。
 ああ、やっぱおれの事好きなんだ、お前。笑いながらそう言うと頭を叩かれた。…冗談言うなよ徹ちゃん、だがおれの方は強ち冗談でもなかった。

 そもそもこの問いに語弊があったのかもしれない。おれに惹かれているのが夏野ではなく、おれが魅かれているのが夏野なのだ。問いを発するべきは寧ろおれの方だったのかもしれない。…なあ夏野、何でおれなんかに構うんだ。

 村の中で彼は異端者だった。纏う空気も顔立ちも振る舞いも何もかもが眼を惹いた。誰もが鮮烈に彼に憧れていた。あの正雄でさえ、彼を疎んじながらもその実誰よりも彼に憧憬を抱いていたのだから。その彼がおれと居る事を好んだのは、おれにとってみれば面映くも不思議でさえあった。

 おれが夏野と居る事を好んだのは当たり前だ。おれも彼に酷く魅かれている人間の内の一人だった。勝手気侭そうに見えて優しい奴だった。その優しさを人に見せない所がまた彼の優しさであり、その所為で誰よりも誤解を受け易かったが、おれはそこが好きだった。おれはお前が好きだった。
 でもお前はどうだ。お前はおれを…

「おれは起き上がりを許すつもりはない。徹ちゃん、あんたもだ」
 あんたはおれを殺した!ああそうだ夏野、おれはお前を殺した。一緒に逃げよう、と手を差し伸べてくれたお前の手を振り払ったのはおれだ。許されないのは当然だし憎まれるのも当然だ。
 ならおれはどうすればいい、どうすれば許される?どうすれば罪は償う事が出来る?夏野はおれの言葉を遮り、ただ教えてくれさえすればいい、と言った。夏野は屍鬼を滅ぼす心算だった。それでよかった。おれはきっと彼に殺される。そう考えると妙に心が落ち着く。

 お前はいつもそうだ。お前はいつも正しい。何者にも屈せず自由なお前が羨ましかった。弱いおれと似ても似つかないお前に憧れていた。
 許しを乞いながらも、おれはお前にだけは許されたくないと思う。だからお前がおれの罪を唱えた時、おれは何処かで安心していた。おれを憎んでくれ。終わらせてくれ。眠らせてくれ。屍鬼なんて滅びてしまえばいい、己など消え去ればいいと望むおれはそれでも惰性で生にしがみついている。───矛盾している。

 許して欲しい。許さないで欲しい。
 生きるという事はこんなにも辛い。

 

 

 助けてくれ。何処も彼処も真っ赤だ。血の色だ。夏野。
 早く消えてしまいたい。苦しい。おれはお前を待っている。夏野、助けて。
 

 

 

 2010/10/29